ありがたみわかり機

一切の食事を絶つことは点滴で生活するなど特殊な手段を執らない限り通常の方法では明らかに不可能だけれど,広義ベジタリアンになることは現実的に可能な気がする.長年にわたって狭義ベジタリアンであり続ける人たちが少なからず存在していることを考えれば原理的に可能なことは明らかだけれど,そういうことではなくて,特別な信条が無くても現実的に可能だと思えるレベルで,自分は菜食だけで生きていけると感じる.以前試した一週間という超短期では無理は感じなかった.しかしありがたくもパラサイトな生活なので長期的にどうなるのかは完全に想像の領域.
これに関しては,人付き合いでの困難を抱える前に一年ぐらいサラダだけでの一人暮らしを試みてみればわかることなので簡単だけれど,本質的に不要ではないかと疑っているものの中には,その重要性を実際に試すことが現実的に困難であるものも多い.一般常識から論破可能なものなら良いけれど,そうでなく圧倒的に個人に依るもの,それこそ肉を食べずに文化的な生活が営めるかなどと言うテーマは,いくら人に説得されてもピンと来ない.どうしたものか.